天性のセールスマンだったポストは、1895年に試供品と携帯用のコンロを持って、ミシガン州の食品店を回りました。各店でポットを用意して能書き通りに20分間じっくり煮立て、その間に説得力のある話し方で、ポスタムの医学的な効用とすばらしい味わいについて語りました。
ポストはいち早く広告の利点を理解し、1895年には広告料に毎月1250ドルかけていましたが、1897年にはそれが毎月2万ドルに上がりました。
数年のうちに、ポスタムを作った普通の納屋は、真っ白な工場の建物に取り囲まれて
「ホワイトシティ」として知られるようになります。
ポストは食品店等に自社製品を仕入れる様に説得するよりも、直接消費者に訴える方が効果的だと確信します。百姓英語と呼ばれたポスタムの広告は、独特の田舎言葉を使いました。その広告文の一つに「コーヒーが合わん人は、ポスタム穀物コーヒーを」はコーヒー業界人を不快にさせましたが、ポスタムは売れました。どの広告文にも最後に必ず
「それには理由がある」という謳い文句を付け加えましたが、この文が何を意味するかははっきりしなかったようです。
つづく