オスマン帝国皇帝、ムラト4世が支配していた17世紀初頭、コーヒーとコーヒーハウスは禁止の対象になりました。領国はコーヒーハウスを謀反と悪の巣窟と考える、無学で反動的な悪大臣ムハンマド・クプリリに支配されてしまいます。棍棒による殴打ではコーヒー禁止の効果がなかった為、クプリリはついにコーヒーハウスの閉鎖に及びました。1633年、コーヒー常習者が密かに飲んでいる事を知ると、タバコやアヘン同様コーヒーも全面的に禁止するという万全の策を取り、防火を口実に、コーヒーを出していた施設を完全に破壊しました。コーヒーやワインやタバコを口にすることは死刑にも値するという一環として、コーヒーハウスの客や経営者を袋詰めにして、ボスポロス海峡に投げ込むという最終手段がとられました。
この手の昔話を聞くたびに、「コーヒー飲むのも命懸けなんて、どれだけ恐ろしい時代なのだ。」と戦線恐々としています。
コーヒー飲みまくってますからね~。この時代なら何回投げ込まれた事か。
現代に生まれてよかった。