6~9世紀にかけてエチオピアからイエメンに伝わったアラビカ種は、1699年に東インド会社によって、イエメンからジャワ島へ運ばれ定着に成功しました。このコーヒーの種子から育てた一本の木が、1706年、ジャワからアムステルダム植物園に送られたのです。
そしてその種子から育てられた苗が1713年、フランスのルイ14世に送られ、その後1723年に、フランスの海軍士官ガブリエル・ド・クリュ―によってマルチニーク島に運ばれます。
そして、ジャマイカ、ベネズエラ、メキシコに移植され中南米に広まっていきました。
特にガブリエル・ド・クリュ―は、日光を浴びられて、曇りの日にも向いた保温性の高いガラス箱にコーヒーの木を入れて乗船しました。
海賊に襲われたり、激しい嵐に襲われたり、さらなる苦難はひどい凪に遭遇したことです。
飲み水の蓄えは底をつき、残りの航海の為に、配給を制限しなければなりませんでした。
ガブリエル・ド・クリュ―はその時の事を次のように記しています。
「水が不足し、一ヶ月以上にわたって、割り当てられたわずかな水を、私の希望の源であったコーヒーの木と分かち合った。その木はまだ幼く、成長が遅れ弱りかけていたので、いっそう手をかけて世話をしてやらねばならなかった。」
この献身的な行為は、彼の名を輝かせ、多くの逸話を生み、詩に謳われて讃えられました。
これは自伝なので、この話を読むたびに、「ホントかよ。実は自分の分じゃなくて部下の飲み水与えて自分は普通に飲んでたんじゃねえのか。」とか思ってしまいます。
そうは思いませんかね?